朝鮮通信使の歴史

  • 朝鮮通信使とは

    朝鮮通信使船と曳航船図の一部

  • 朝鮮通信使の地図

    朝鮮通信使の説明文

  • 通信使に出した引替膳

    通信使に出した引替膳

  • 監嶋の構成

    監嶋図の構成

概要

 朝鮮通信使とは、豊臣秀吉の朝鮮出兵により朝鮮と国交が断たれていた江戸時代に、幕府が取り組んでいた国交の回復の一環として、朝鮮が日本に送った使者のことです。
 朝鮮通信使は1607年以降、合計で12回来日しています。その目的は、初めの3回までは朝鮮出兵時に秀吉が連れてきた朝鮮の技術者を本国に連れ帰ることでした。しかし、その後は将軍が変わるたびにお祝いの使者として訪れ、両国間の友好を深めることが目的となりました。
 朝鮮通信使の中継地の一つとして相島が利用されており、来日のたびに客館が建てられ通信使を盛大にもてなしました。

注目ポイント

朝鮮通信使

通信使の編成

通信使一行の人員の増減は激しく少ないときで300人多いときで500人以上で構成されていました。構成には一定の基準があり正使・副使・従事官の三使の他に、この随員として通訳・文書の起草にあたる者がついていました。また警護の任としての武官・医者や贈答品の管理と輸送にあたる者、多数の船員などで構成されていました。

朝鮮通信使

朝鮮通信使客館跡

現在は、畑になっていますが平成6年に発掘調査を行ったところ大規模な建物跡が見つかりこの場所には、壮大な客館があったことが分かりました。また井戸の跡が見つかりその中から下駄や漆器椀、肥前系の陶磁器など誰かと話しをしていたと思われる物がたくさん見つかっています。

参考文献

  1. 新宮町誌編集委員会,”新宮町誌”,新宮町役場,pp.874-910,1997/01/11.
  2. 「わたしたちの町 新宮」執筆委員会,”楽しく学ぶむかしといま わたしたちの町 新宮”,新宮町,pp.56-61,1999/2.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です