太閤潮井の石

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    秀吉が戦勝と航海の安全を祈願した太閤潮井の石

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    太閤潮井の石と共に奉られている地蔵

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    太閤潮井の石の歴史

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    道の途中に太閤潮井の石を示す道しるべ

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    秀吉一行が海枠の石を一個ずつ積み上げ築いた石の山

概要

 豊臣秀古は、文禄元年(1592)と慶長二年(1597)の二度にわたり朝鮮に出兵しました。これを文禄・慶長の役と呼びます。秀古の出陣の命令で陸路名護屋に向かった藩もありましたが、大多数の藩は軍船を連ねて海路名古屋へ向かいました。その途上にあるのが相島です。海が時化ると、相島湾に避難し、穴観音の崖上に建てられた観音堂に戦勝と航海の安全を祈願し、その際に海枠の石を一個ずつ持って参ったので、いつの間にか石の山を築いていました。それが今に残り島人は太閤潮井の石と言い伝えています。この地の字名を日ノ丸と呼ぶようになったのは、秀吉の軍船に日の丸の旗が揚げられていたからだといわれています。また、その時秀吉が残していったと伝えられる鉄の大銚子が「慶長年間豊臣太閤遺品」と書かれた箱に収められ神宮寺の寺宝として伝わっています。

注目ポイント

太閤潮井の石

積み上げられた石の山

豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、相島に立ち寄り海岸の石を一個ずつ持って千手観音像に航海安全と戦勝の祈願のために積み上げられた石の山で、歴史の詰まったスポットです。

太閤潮井の石

秀吉が立った場所!?

秀吉がどのようにして石を積み上げていったのかを想像しながら見てみるのもよさそうですね。太閤潮井の石の歴史を肌で感じながら観光してみてください。秀吉がここに立ったと思うと興奮します!

アクセス

太閤潮井の石は相島の北側にあります。まずは、相島渡船待合所から新宮中学校相島分校の方面へ移動し、相島積石塚群へ向かいます。さらに北の方面へ坂を上っていくと、岩宮神社タキノダン入口を示す看板が立っています。入口の分岐路を左へ進むと岩宮神社があり、その隣に太閤潮井の石があります。

移動時間相島渡船待合所より徒歩50分

郵便番号811-0118

住所福岡県糟屋郡新宮町相島

緯度経度北緯 33.765459度, 東経 130.366227度

特記事項足場の悪い場所が場所がありますのでお気を付けください。

外部リンク

参考文献

  1. 新宮町誌編集委員会,”新宮町誌” pp.866-867
  2. 新宮町,”相島パンフレット”,http://www.town.shingu.fukuoka.jp/index.cfm/1,6550,c,html/6550/20160407-092021.pdf

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